深夜ぶろぐ便

深夜ぶろぐ便

英五 とつるべ

鶴瓶師匠の若き日の自叙伝「悲しき紙芝居」に河島英五との出会いのことが書かれています。その中の内容は、、、

第一印象は最悪だった。

英五と最初に出会ったのは今から10年目になる。(いまから30年以上前)

(注・おそらく昭和47年ごろ)このころ英五はホモサピエンスというバンドを組んでおり、僕の学生時代の友人「あのねのね」のバックバンドなどをやったいた。天王寺の野外音楽堂で「あのねのね」のコンサートがあったとき、楽屋をたづねると、そこには背の高い男が一人、ぼーと立っていた。それが河島英五だった。もちろん無名な頃である。

僕はその男に向かって、軽い会釈をしたつもりだったが、相手はまったくそ知らぬふりをし、何の挨拶もなかった。

「おかしなやつ」という印象しかなかった。

その後すぐに英五はソロになった。あちこちの会場で何度か顔を合わすのだが挨拶してくれないのである。

『もうええわ、こんな愛想のないやつとは絶対についかわへんぞ』と心に決めていた。

そんなこんなしていると、僕の深夜ラジオに新曲のプロモートでのゲストがきまったいたのである。

『うっとうしやつがくるな』と憂鬱な気分になった。

ところが、話し始めると英五に対しての印象は180度変わっていったのである。

ぼそぼそとつぶやくような言葉の裏に、何かしら、とても熱く燃えてぎるいるものを感じさせる男だとわかったのである。一見無愛想な男でもテレやだったのである。

(注) ミッドナイト東海ラジオ

それどころか親近感を覚え意気投合し、コンサートを一緒にやろうという話までになった。

話が現実となり、名古屋のとある小さなホールで、昭和51年1月15日ジヨイントコンサートがきまった。

音符もわからぬ僕に粘り強く練習を重ね、リードしてくれた。

そんな風にコンサートが成功した

英五との効した付き合いの中から『酔い語り』の歌が生まれた。彼が僕の為に歌をつくってくれたのである。

また、僕の舞台での話を聞いてくれた英五が、僕の友人達のエピソードからヒントを得て、「友よ語りき」という歌も作ってくれた。この歌はばくの最初に出したレコードである。

彼は純粋な男である。どちらかといえば口数が少なく、男っぽさを強く感じさせる人である。僕は彼と出会うたびになぜか、『僕もがんばらなければ』とファイトとが沸いてくる。曲がヒットして名前が売れても、昔のままの純粋な心をもち続けている英五を見て、僕も噺かになりたての頃に抱いていたあの初心に、ふとかえってしまうからなのかもしれない。

ところで、その男らしい男、河島英五のなく姿を、僕はたった一度だけみたことがある。

本人から

「結婚したいこがおるねん」と打ち明けられていた。

しかし、ある事情から両親から大反対をされていたことも聞かされた。

そんなある日、心配していた僕に英五のけっこしきの招待状が届いた。

それは滅多にみられない、感動的な披露宴だった。

形どうりの宴も進んで、仲人さんのお決まりの挨拶となった、本当ならここで新郎新婦の略歴などなれ初めなどがメモでも見ながら延々と続くはずのであるがこの時の仲人さんは、

「おめでとう、ほんとうによかったな」

「おめでとう、ほんまによかったな」

と繰り返すだけなのである。

二人がゴールインするに至った、複雑な事情、そしてそれにまつわるいろんな人たちの葛藤が、一瞬のうちに感じ取られたのである。

この後、僕が乾杯の音頭をとることになったいた。もう多くは語る必要がない。マイクにたった僕は、ただ、彼に向かって。

『英五、おめでとう』とだけ、心からのお祝いの言葉をのべたのである。

すると、突然、抑え込んでいた英五の感情が。一気に堰を切って出てきた。感極まって、彼が、とうとう泣き出したのである。

泪なんかとは無縁と持っていた男らしい男、あの河島英五が文字どうり男泣きをしたのである。

もともと、涙もろい僕は、恥ずかしながらもらい泣きをしてしまった。

本、悲しき紙芝居 シンコウー出版S.57から、内容を少し変えています 


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